「 シーズン13 」 一覧
なぜ薪ストーブ?2
「なぜ薪ストーブ?」、、
最初の年、あの記事で書いたことは今もまったく変わらない。
ホント、まったく同じ。
今はつくづく思う。私はよい選択をしたものだ。
人生はよりよいものになった。
内容は少し書き足すけれど、感謝を込めて自分自身に再掲する。
なぜ薪ストーブ?とよく人は尋ねる。
環境問題とか、原油価格の高騰とか、そんな必要に迫られてのことじゃなかった。
信念とか信条とかそんな高尚な理屈があってのことでもなかった。
ブームだとか、いや、時代遅れだとか、そんなのハナから関係なかった。
ましてやコストだの労力に換算だの、そんな計算クソ食らえだった。
自分の中に火を焚きたいという欲求があった。ただそれだけ。
アウトドア派でもない。農業にも林業にも建築にも土木にも接点がない。
ネクタイしてるただの勤め人。
思えば飯盒炊飯が好きで庭でよく焚き火をして飯を炊いた。
子どもたちは物珍しさを喜んでくれた。
バーベキューも大好きで毎週でもやりたかったが、妻が面倒くさがるのでひと夏に1回か2回が精一杯。
その程度。
なぜだろう、よくわからない。自分の中の火を焚きたいという欲求、DNAとも言うべき、火を焚きたい本能が自分の中にあり、それに従っただけのこと。
かつて人は火を起こし暖を取り、外敵から身を守り、煮て焚いて、工夫して、生活を保ってきた。そんなごく当たり前な自然の営みに恵まれながら暮らせることに喜びを感じる。
薪ストーブは自分自身。暮らし方の選択。
暖房器具の選択ではなかったのです。
休日はいつも薪割り
薪割りが楽しくてやめられない
薪割りは好きだ。毎年毎年書いていることだが、今年もせっせと薪を割っている。
誰と集まる必要もない。助けを呼ぶことも設備をかけることもない。野山においてただひたすら薪を割るのみ。休日ごとのこれは私の愉しみだ。
13年も薪を割っていればやることはシンプル。原木をチェンソーで玉切りして、斧で半割して、電動薪割機で薪にする。最初の写真の1カットで工程がすべて収まっている。
すっかり定着した薪割りルーティーン
今日のチェンソーはドルマー115(52cc)。丸ヤスリでやる目立てもだいたい習得したし、よく切れて問題はない。斧はグレンスフォシュ。これは宝だね。いい道具というのはまったく宝だ。
これで片っ端から半割にする。これは30cm台の玉ばかりなのでね、玉を地面に立てて一撃で割りまくる。割り切ると地面を叩いてしまうし、割り切らずしかし玉を割り切るというムズカシイことをしてる、笑。
そして電動薪割機ナカトミのLS-52HS。もう10年使っているがなんとよく働いてくれる。こいつのレビューは以前書いた。初心者の視点で余すとこなく書けてると思う。(電動薪割機シリーズ)。
現行機はLS-4といい、これが壊れたらそれを買うと決めている。
ということで、玉切りしたら斧で片っ端から半割にして、その場で軽トラに積んだ電動薪割機で薪にする。軽トラいっぱいに薪ができたらそのまま薪棚に移動して薪を積む。
13年めの現在、私の薪づくりはこんな感じでやってるよ。