シーズン14 薪ストーブ

薪を焚いて14年

まだまだ14年。たったの14年。中学生じゃないか。
何かわかった気になって、自分にもできるようになったと思える充実感は悪いことじゃない。でもまだ14年しか経ってないんだな。

人それぞれの価値観がある。その人の志向一つとっても、仕事が唯一喜びの人、高収入こそがすべての人、権力や名誉が何より好きな人、休日ごとの趣味に生きる人、社会や地域に尽くすことが生きがいの人、20代のある時期の経歴つまり学歴こそが後生大事な人、60歳になっても80歳になっても進行形で勉強する人、ものごとを変えたい人、変えたくない人、、いやキリがない。書かなくてもわかるよね。

薪ストーブを焚く人の価値観も千差万別なんだろうか。会ったことないからわからないが、コストとかお金とか見栄えとか、ステータスとか、、メリットデメリット天秤にかけて損得で薪焚いてる人もいるんだろうか。そして、そんな我々薪ストーブユーザーのことは貧乏くさいとか、変わり者だとか、迷惑だとか、あるいは憧れだとか羨ましいとか贅沢だとか、世間一般にはさまざまに映っているのだろう。

どれも関係ないというか、私にはどれでもいいんだよね。薪を焚く暮らしがしたいからそうしてるんだし、そうでなければそうでなくていい。それぞれを区別してあるいは排除して無関心になるのでなく、それをそれと認めつつ自らの価値観をもって自分を生きて、活かしていく。

春がきて夏がすぎ秋になって冬になる、そんな自然の営みは自らの価値も意味も叫んだりしないし、太陽も風も海も森も素晴らしい恵みかと思えば圧倒的な暴力的災厄をもたらす。そんなことは所詮人間側の価値観で勝手にそう思うだけ。

思えばこのブログをスタートしたのも、あとから来る薪ストーブを焚きたい人のために少しは役に立つことを書こうと思ったからだ。でも冒頭に書いたように私はまだまだ14年目の中学生なので先はもっと長い。もっと楽しんでもっとできるようになってもっと知ってみたい。
なんだろう、慣れた気になってないでこれからも自らの目指すところを楽しんでいこう。そう書こうとしたのかな。
まあ年初なのでオチがついてないのもよしとしよう。正月気分でそんなことを考えていた。