「 薪ストーブ 」 一覧
ドアガラス
日常はこんな感じ。
アンコールは燃焼用の空気がエアーカーテンのようにガラスの内側を上から下へと通っているのでガラスが曇りにくい。これは本当のようだ。煤で真っ黒になるという経験はまだしたことがない。
かわりに白くかすむような曇り方をする。粉のような灰もガラス面についてる。たまに燃えた木が直接ガラスに触れていたりするとその部分が黒く煤けたりもする。
これらはぼうぼう火を燃やせばそれだけで燃えてある程度綺麗になってくれるので全然問題ないが、1ヶ月に1度くらいティッシュで拭いて透明な元通りのガラスにすれば気持ちがいい。
燃える火を見ていて本当に飽きない。
妻の顔より火を見ている時間の方が絶対長い(笑)
追記だ。
いやこの画像はヒドイね。12年目の私が1年目の私に言うとしたら、「灰片付けてガラス拭け!」だ。その後の記事で書いてるように最初の頃の私は灰を掃除せずためまくった。灰は火鉢のようにたくさん溜めた方がいいっていう口コミを間違って解釈してしまったんだな。忙しくてヒマがなかったとかで1シーズンに一度くらいはこうなったとしても、この画像が日常だってのはちと違う。
でもまあ、エアーカーテンのような空気の流れとかガラスが煤で真っ黒になりにくいっていう記事の言わんとするところはその通りだね。
なぜ薪ストーブ?
なぜ薪ストーブ?とよく人は尋ねる。
環境問題とか、原油価格の高騰とか、そんな理屈じゃなかった。
信念とか信条とかそんな高尚な考えがあってのことでもなかった。
ブームだとか、いや、時代遅れだとか、そんなことはハナから関係なかった。
自分の中に火を焚きたいという欲求があった。ただそれだけ。
アウトドア派でもない。農業にも林業にも建築にも土木にも接点がない。
ネクタイしてるただの勤め人。
思えば飯盒炊飯が好きで庭でよく焚き火をして飯を炊いた。
家族は物珍しさを喜んでくれた。
バーベキューも大好きで毎週でもやりたかったが、妻が面倒くさがるのでひと夏に1回か2回くらいがせめて。
その程度。
自分の中の火を焚きたいという欲求、DNAとも言うべき、火を焚きたいという欲求が自分の中にあり、それに従っただけのこと。
かつて人は火を起こし暖を取り、外敵から身を守り、煮て焚いて、工夫して、生活を保ってきた。そんなごく当たり前な自然の営みに恵まれながら暮らせることに喜びを感じる。
薪ストーブは自分自身。暮らし方の選択。
暖房器具の選択ではなかったのです。