薪は人を三度温めてくれる、その言葉

薪ストーブユーザーなら、誰もが知ってる。「薪は人を三度温めてくれる」という言葉。
一度目は薪を割るとき
二度目は薪を積むとき
三度目は薪を焚くとき
これについて少し書いてみる。
この言葉は、19世紀にアメリカのヘンリー・デイヴィッド・ソローが書いた、著書『森の生活(ウォールデン)』が初出とされている。だが見てみると、ソローは、「切り株は私を二度温めてくれた。一度目はそれを割っているとき、二度目はそれが火にかけられたときだ」と書いている。、、そう、ソロー自身が書いたのは「三度」ではなく「二度」なのだ。
じゃあ、いつ、誰がそれを「三度」に増やしたのだろう?
そもそも「二度」のこの言葉は、ソロ―以前から古き良き「民間のことわざ」として農民の間にあったものらしい。それをソロ―が哲学的文脈で書いたものだから、なにやら文学的な匂いのフレーズになった。
ちなみに、自動車王のヘンリー・フォードは、ソロ―の言葉をいたく気に入り、自分の暖炉に「自分で薪を割れ、二重に温まる(Chop your own wood and it will warm you twice)」と刻印させている。のちに「自立と努力の重要性」を説くフォードの格言として有名になるが、元ネタがソローということで、ますますソローの言葉は知られることになった。
わかるように、ソローもフォードも、ストーブが温かいという話ではなく、労働が我々を温めてくれる、それを言ってる。フォーカスしてるのは労働なわけだ。
ともあれ、ここまでは「二度」だ。
ここからどう調べても「三度温める」というフレーズを最初に使った作家や文献は出てこない。
AIに調べさせたら、それは薪を焚く人々の間で、自然発生的に生まれたものではないだろうか。という回答になった。
なるほど、それは十分ありそうな話だ。薪をつくる人ならわかるだろう、薪づくりのあの膨大な労力と大変さが。
だから、「二度?いや、二度どころじゃない。割るとき、運ぶとき、そして燃やすとき。三度は温まるぞ」、「まてまて、俺なんかは、一度目は木を切り倒すとき、二度目は運び出すとき、三度目は割るとき、四度目は薪棚に積むとき、そして五度目は燃やすときだ」さらには「そこから炉内で料理をつくる時、それを食べる時、俺は七回だ」といった具合で、まるで「大喜利」みたいにユーモアと実感を込めていろんな人が勝手にアップデートしていった。で、文章にする時は三度あたりが収まりがよいので、三度に定着した。
・・・・・鵜呑みにされては困るぞ、これは私の妄想だ。
でも私はずっと思っていたんだ。
現代において薪ストーブを語るとき、大事なことは「あたたまる回数」なのだろうか。労働と努力で素晴らしい温かさを得られることは私も知ってる。だが私は「あたたまる回数」ではなく、「薪ストーブはいったい、何を温めているのか」というところに、温かさの本質を感じたい。薪を焚いて暮らす人はそれを知っていて、だから薪を割るのだ。
エアコンやファンヒーターとは違う、鋳物からじわじわと放たれる輻射熱。部屋の空気だけじゃなく、壁や床や天井、家具までも熱が伝わり、家まるごと包み込むように温めていく。ガラスの向こうで揺らめく炎、パチパチとはぜる音、どこか懐かしい薪の匂い。そして何より、薪ストーブのまわりには家族がいる。何でもない普通の日常が、薪ストーブの温もりで満たされていく。
そう考えていくと、私にとって「三度」の意味はこうだ。
薪は人を三度温めてくれる。
一度目は、冷えた『身体と五感』を。
二度目は、炎を囲む『家族と団らん』を。
三度目は、手間暇を楽しむことで生まれる『心のゆとりと豊かな暮らし』を。
・・・また勝手にアップデートしてるヤツがいるよ、笑。
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